日本でリメイクしてほしくない韓国ドラマBEST10!辛口で!

韓国ドラマの日本リメイクは当たり外れが大きいですよね。
私は普段リメイクも楽しむ方ですが、これだけはそのまま残してほしいと思う作品がいくつかあります。
世界観、俳優の演技力や間、文化や歴史、セット、ロケ地、あるある、OSTや衣装の質感まで全部込みで完成しているからです。
今回は日本版にしてほしくないと感じた韓国ドラマをランキングでまとめました。
ちょっと辛口ですがお付き合いください。
日本でリメイクしてほしくない韓国ドラマBEST10!
第10位 『ユミの細胞たち』
まず最大の壁は、実写と3Dアニメの混ざり方がこの作品の命だという点です。
細胞たちは可愛いマスコットではなく、ユミの判断を左右する登場人物として、会話のテンポと表情の間で笑わせます。
ここが少しでもズレると、悩みの場面が長く見えたり説明が前に出たりして、恋の高まりが弱くなります。
韓国版は、俳優の表情の細かさと細胞の芝居が同じ温度でつながっていて、この一体感は再現が難しいです。
次に、ユミ本人の建前と細胞たちの本音が同時に走る二重構造が、リメイクだと崩れます。
分かりやすく言い換えると本音の鋭さが薄れ、ユミがただ迷っている人に見える恐れがあります。
本音の説明を増やすと説教くさく見えてしまい、ロマンスの軽さが消えます。
さらに、ユミの生活の細部が恋の気分に直結しているので、舞台を日本に移すと行動の意味が変わります。
意味が変わると、同じ出来事でも恥ずかしさや安心の理由がズレて、共感のポイントが揺れます。
このズレを埋めるには日常の細部まで作り直す必要があり、その時点で原作の空気は別物になりがちです。
最後に、キャストのはまり方が強すぎます。
キム・ゴウンの表情のリアルさ、アン・ボヒョンの不器用さの加減、ジニョン登場で空気が切り替わる感じまで含めて完成しています。
配役と演出が変わるだけで、同じ話でも別作品に見える可能性が高いので、日本リメイクには反対です。
第9位 『ソンジェ背負って走れ』
日本リメイクに反対したい理由は、ビョン ウソクの人気と存在感が作品の中心に置かれているからです。
見た目の良さだけではなく、目線の迷い方や口元のゆるみ方みたいな細かい表情で、ソンジェの不安と優しさを同時に見せます。
ここが別の俳優に変わると、同じセリフでも甘さが出すぎたり、軽く見えたりして恋の重さがズレます。
さらにこの作品は、スターとしてのソンジェを見せる場面が多く、ステージや歌の説得力が欠かせません。
韓国版はECLIPSEというバンド設定と楽曲が強く結びついていて、歌が上手いかどうかが視聴の気持ちを左右します。
日本版で同じ強さの歌と演技を両立できる人を当てないと、スターとファンの関係が作り物に見えてしまいます。
それと、キム ヘユンが演じるソルの勢い。
ソルは感情が先に走る場面が多く、かわいいと思う人と、苦手だと思う人がはっきり分かれます。
日本でリメイクすると、このクセを和らげたくなりますが、和らげると今度はソルの行動の説得力が弱くなります。
また、クセを残すと、視聴者の好みが割れて、地上波向けに整えるのが難しくなります。
時間を行き来する構成も、リメイクで事故が起きる点です。
感情の山場は、過去と現在の積み重ねがきれいにつながった時に出るので、編集のテンポが少し変わるだけで泣ける場面が弱くなります。
レビューでも、途中の同じ流れが続く感覚や、場面が長いと感じる声があり、作り直すと欠点がさらに目につく危険があります。
韓国版は、俳優の表情の説得力でその弱点を上回り最後まで引っ張ります。
この引っ張る力が落ちたら、物語の工夫よりも繰り返しの印象が先に立ってしまうはずです。
ソンジェ背負って走れは、人気俳優の魅力と音楽と構成が一体になった作品なので、日本リメイクは成功の条件が多すぎます。
だからこそ、今の形のまま楽しむのがいちばんです。
第8位 『赤い袖先』
日本リメイクに反対したい理由は、朝鮮王宮のしきたりと身分の差が物語の心臓部分だからです。
この作品は恋愛だけで進まず、王の決まりごとと女官の仕事が毎回の行動を縛ります。
舞台を日本に置き換えると、その縛りの形が変わりすぎて、同じ展開でも説得力が落ちるでしょう。
まさか舞台を朝鮮のままにして日本の俳優で演じるなんてことは考えられません。
特に宮廷内の礼儀作法は、立つ位置や目線や呼び名ひとつで上下関係が伝わる作りです。
日韓の複雑な関係がますますこじれそうな予感しかありません。
また、映像面も大きな壁で、光の使い方や衣装の赤の見せ方が、場面の気持ちを決めています。
同じ質感を出すには、セットと衣装と撮影にかなりの予算と時間が必要です。
日本の連ドラで同じ規模を用意できないと、安っぽく見えてしまう危険があります。
もうひとつ大事なのは、主人公ソン・ドギムとイ・サンの関係が、好きだけでは進めない所にあります。
相手を大切に思うほど逃げる場面もあり、見ている側も苦しくなるのに目が離れません。
この苦しさを軽くすると別作品になりやすいので、今の完成度のまま楽しむのがいちばん。
わざわざ、リメイクをする必要などありません。←だれもすると言ってない。
赤い袖先は、恋愛時代劇が苦手な人でも最後まで見届けたくなる力があるので、まずは韓国版で味わってほしいです。
第7位 『暴君のシェフ』
日本リメイクに反対したい理由は、時代劇の重さと料理コメディの軽さが同じ画面に共存していて、そのバランスがすごく難しいからです。
この作品は、現代の一流シェフが朝鮮王朝に飛ばされ、暴君と呼ばれる王の機嫌と命令に振り回されます。
料理は明るく見せたいのに、宮廷は暴力や処罰が身近で空気が一歩でもずれると笑えない場面になります。
韓国版は、切り替えのテンポと音楽と演技の強弱で成立していますが、日本版で同じ配合を作るのはかなり危険です。
ネットのレビューでも、料理の場面は楽しいのに、途中から史劇の色が強くなって長く感じたという声があり構成の好みが割れやすい作品です。
ここを日本版で分かりやすく整えようとすると、料理のワクワクが薄くなるか宮廷の緊張が弱くなるか、どちらかに寄ってしまいます。
次に、歴史上の暴君モデルを扱う点が、日本の地上波や配信の空気と相性が悪いです。
暴君をそのまま怖い人物として描くと恋愛が成立しにくく、反対に優しく描きすぎると暴君という題名が浮いて見えます。
韓国版は、残酷さと孤独を同時に見せる演技で説得力を作っていますが、配役が変わると印象が大きく動きます。
レビューでも、王役の魅力が強いから見続けられたという声が多く、キャスト依存度が高いです。
日本リメイクは、演技だけでなく所作や言葉づかいも別物になるので、王の威圧感と色気の両立が難しくなります。
さらに、料理の見せ方もハードルが高い。
韓国版は、料理のアップ、食べる表情、反応の誇張の順番がうまく、見ている側が腹が空く作りです。
日本版で同じ撮り方をすると大げさに見えてしまい、控えめにすると料理の気持ちよさが弱くなります。
そして設定面では、現代の料理を過去に持ち込む時に必要な道具や材料の説明をどこまで見せるかが難所。
説明を省くと都合がよく見え、説明を足すと物語が止まる。
この作品はそこを勢いで走り切る面白さがあるので、丁寧に作り直すほど勢いが落ちる危険があります。
暴君のシェフは、キャストの説得力と演出のテンポで綱渡りを成功させた作品なので、日本で同じ綱渡りをもう一度する必要はないと思います。
だからこそ、韓国版をそのまま楽しむのが一番です。
第6位 『哲仁王后』
日本リメイクに反対したい理由は、まず設定の核が入れ替え不可能なくらい韓国史劇の作法に結びついているからです。
ただ韓国版も実は中国ドラマ「太子妃狂想曲」をリメイクしたドラマ。
この作品は、王宮の身分差と礼法が日常の空気を作り、その中で中身が現代男性の魂の王妃が暴れます。
この面白い組み合わせを、日本の時代設定に移すとすれば江戸時代でしょうか?
しかし、同じような立場の王妃を日本で探すのは難しそうです。
王妃の立場が変わると、笑えるはずの行動が不自然に見えたり危険な行動に見えたりして面白さが半減。
次に、主演の演技の条件が高すぎます。
王妃の体で、中身は現代男性の言葉づかいと反応を出しつつ、王宮の礼儀は守らないといけません。
雑にすると下品に見え、上品に寄せすぎるとコメディの勢いが落ちます。
この線引きは俳優の身体表現がほぼ全てなので、配役が変わるだけで別作品になります。
それから、笑いの種類が日本の連ドラの笑いと違う点。
哲仁王后の面白さは、言葉の強さと間の取り方が速くツッコミもうまい。
日本リメイクで分かりやすい会話に直すと、テンポが遅くなり勢いが弱くなります。
また、同じ勢いで押すと、今度はキャラがうるさく見えて、恋愛の場面が落ち着かなくなることでしょう。
さらに、恋愛部分の説得力も難所です。
王は権力の頂点で、王妃は逃げられない立場です。
この上下関係を軽くすると時代劇の重みが消え、重く描くとロマンスが見づらくなります。
韓国版はコメディで空気を和らげながらも、宮廷の怖さを残しているので成立しています。
最後に、衣装とセットと所作の質感が重要なのも大きいです。
衣装の重さや髪形や動き方がリアルでないと、王宮の圧が伝わりません。
圧が弱いと、王妃の暴れ方がただのドタバタに見えてしまい、作品の面白さが減ります。
哲仁王后は演技とテンポと王宮の重さが一体になった作品。
だからこそ今の完成度のまま楽しむほうがいいでしょう。
第5位 『ダイナマイト・キス』
日本リメイクに反対したい理由は、この作品が偶然の重なりと身分差ロマコメを勢いで押し切る設計だからです。
済州島の出会いから職場で再会する流れも、既婚者のふりで入社する設定も現実味よりドタバタの加速を優先しています。
韓国版はその強引さを、編集のテンポと主演俳優や助演同士のケミで楽しく見せています。
日本で同じ形をなぞると、都合がよすぎる展開が先に目立って、恋の高まりに乗りにくくなると思います。
次に、偽装の内容が日本の連ドラで扱うには地雷が多いです。
子持ちの既婚者とウソをついて働く設定は、軽く笑える人と嫌悪感が出る人がはっきり分かれます。
リメイクで無難に整えると、今度は作品の柱だったウソの緊張が弱くなり、ただの職場恋愛に寄ってしまいます。
このウソが薄いと、相手役が冷たく当たる理由も弱くなってツンデレの面白さが成立しにくいです。
さらに、財閥の御曹司と育児用品会社という背景も重要で、韓国の財閥文化と職場の上下関係が重要。
日本で財閥設定を置き換えると、権力の説得力が変わり、主人公の横暴がただの嫌な上司に見える危険があります。
そして主役チャン・ギヨンの魅力も大きいです。
この作品の主人公は、仕事では冷たく見えるのに恋では一気に余裕を失います。
しかもコメディの場面では、表情をやりすぎず反応を少し遅らせたり早めたりして笑いを作ります。
ここが別の俳優になると、冷たさが強すぎて怖く見えたり、逆に軽く見えて頼りなく感じたりするかもしれません。
ダイナマイト キスは、設定が強引な分、俳優の説得力で無茶を成立させる必要があります。
その役割をチャン ギヨンが担っているので、日本で同じ形に作り直すと魅力が薄くなる可能性が高いです。
別の国の常識と俳優を置き換えた時点で、面白さの芯が細くなる可能性が高いので、日本リメイクは難しいでしょう。
第4位 『私の完璧な秘書』
日本リメイクに反対したい一番の理由は、癒やしの空気が俳優の演技力とビジュアルの魅力で成り立っている作品だからです。
このドラマは大事件で引っぱるより、職場の一日と会話の温度で心を動かします。
ここを日本の連ドラのテンポに合わせると、優しさが薄くなったり、逆に甘さが強く出たりしやすいです。
見終わったあとに残る落ち着きが、この作品の価値なので作り直しで崩れる可能性が高いです。
ウノ(イ・ジュニョク)やジユン(ハン・ジミン)の変わりが日本俳優にいるでしょうか?
仕事は完璧なのに生活は不器用な女性CEOと、仕事も育児も気配りもできる男性秘書です。
キスしそうでキスしないあの空間!
それを誰が演じるのか聞いてみたい。←知らないだけでいるかもしれない。
日本で同じ設定をやると、視聴者の現実感が先に立って、理想の押しつけに見える危険があります。
特に完璧な秘書の振る舞いは、少しでも演出が強いと気持ち悪さに寄ってしまいます。
そしてこの作品は、主役二人の相性にかなり依存しています。
冷たく見えるのに孤独が透ける表情と、押しつけがましくない優しさの出し方が噛み合って、恋が進みます。
配役が変わると、同じ行動でも説教に見えたり、軽く見えたりして、関係の説得力が落てしまうのです。
最後に、癒やし系としての線引きが難しい点もあります。
職場ロマンスは、仕事の緊張と恋の甘さの配分を間違えると、どちらも中途半端に見えます。
韓国版は静かな場面を怖がらずに描くので成立していますが、日本リメイクは分かりやすさを優先して静けさを削りがちです。
静けさが減ると、この作品が持つ大人っぽい余韻が消えます。
だからリメイクなどせず、韓国版で二人の距離が近づく空気をそのまま味わうのがおすすめです。
第3位 『涙の女王』
日本リメイクに反対したい理由は、まず主役二人の顔と声の説得力が作品の前提になっているからです。
この作品は、大きい出来事よりも夫婦の空気の変化で引っぱるドラマ。
だから、目線の動きや間の取り方が少し変わるだけで、切なさが薄くなります。
別の俳優で同じせりふを言っても、同じ重さで届くとは限りません。
次に、財閥の家の息苦しさが物語の土台なので、日本に置き換えると違和感が気になるでしょう。
お金がある家でも、家族の支配の形や世間体の守り方は国によって違います。
この部分が変わると、登場人物が強引に見えたり、ただ意地悪に見えたりして感情がついていきにくくなります。
韓国版は、家の圧と個人の孤独が同時に見えるので成立しています。
それから、笑いと涙の切り替えが早い作品なので、編集のテンポがとても重要です。
重い場面の直後に軽い会話を入れて、気持ちを持ち直させます。
日本の連ドラで同じスピード感を出すと、ふざけすぎに見える危険があります。
反対に慎重に作ると、暗い時間が長く感じて途中で疲れてしまうことでしょう。
恋愛の甘さも同じで、近づく場面が多いわけではないのに妙に印象に残ります。
これは、言葉より表情で見せる作りだからです。
日本版で分かりやすい説明を増やすと、この余韻が消えると思います。
涙の女王は、俳優の演技と財閥の空気とテンポの三つがかみ合って完成した作品です。
日本で同じ形に作り直すより、韓国版をそのまま見て、あの夫婦の距離の変化を味わうのがいちばんです。
第2位 『キング・ザ・ランド』
日本リメイクに反対したい理由は、まず主演二人の空気が作品の価値を決めているからです。
この作品は事件で引っぱるより、目線のやり取りと距離の縮まり方で最後まで見せます。
だから配役が変わった時に、同じ場面でも甘さが強く出すぎたり、無味に見えることでしょう。
恋愛ドラマはこれが一番こわいです。
次に、財閥ホテルという舞台が韓国の価値観と強く結びついている点も大きいです。
上の立場の人が当たり前のように決めて、現場が空気を読んで動く。
この圧があるから、主人公が丁寧に接するだけで優しさが目立ちます。
日本に置き換えると職場の圧の形が変わるので、同じ行動でも意味がズレるかもしれません。
ズレると、主人公が冷たい人に見えたり、ヒロインの頑張りが薄く見えたりします。
それから、この作品は華やかさが命です。
ロビーや客室や制服の見せ方が整っていて、見ているだけで非日常の気分になります。
日本版で同じ規模を用意できないと、舞台が小さく見えて恋の夢が弱くなる。
小さく見えると、話の甘さも一緒に軽くなります。
もうひとつは、笑いの質がリメイクで変わってしまう点です。
韓国版の笑いは、少し大げさなリアクションとテンポの早い会話。
日本で同じ勢いを出すと、わざとらしく見える危険があります。
反対に笑いを控えると、今度は話が薄く感じて恋の場面までがたいくつに。
最後に、王道の展開を成立させるための上品さが必要です。
王道は安心して見られる反面、少しでも雑だと古く見えます。
韓国版は、二人の品のある表情と所作で王道を新しく見せています。
ここが別の俳優になると、よくある話に見えてしまい、作品の魅力が落ちる可能性が高い。
だから私は、キング・ザ・ランドは日本でリメイクするより、今の完成形をそのまま楽しむほうがいいと思います。←いや、だからだれもリメイクするとは言ってない。
王道の恋愛を気持ちよく味わうなら韓国版がいちばんです。
第1位 『社内お見合い』
日本リメイクに反対したい理由は、この作品が韓国ロマコメのテンポと誇張の上手さで完成しているからです。
社内お見合いは、設定自体は王道です。
身代わりでお見合いに行く。
相手は会社の社長。
この時点で現実味は薄いのに、韓国版は演出のスピードで一気に信じさせます。
日本で同じ設定を丁寧に現実寄りに直すと、勢いが落ちて普通の社内恋愛に見えることでしょう。
逆に勢いを残すと、日本のドラマの空気だとやりすぎに見える危険があります。
この作品は、その境目がシビアです。
次に、顔芸ギリギリのコメディ演技が必須なのもリメイクの壁です。
主人公のシン ハリは焦る時の表情や声の裏返りが大きくて、それが笑いになります。
でも少しでも大げさに見えると、見ていて恥ずかしくなります。
韓国版は、編集の間と周りの反応が上手くて笑いに変えていますが、日本版で同じ技を毎回出すのは難しいです。
さらに、財閥的な社長の強さが恋愛の障害として機能している点も韓国の文化に寄っています。
権力の差が大きいほど、主人公の正体バレが怖くなります。
日本で同じ格差を作ろうとすると、社長の圧がただのパワハラに見えてしまう。
圧を弱めると、今度は身代わり設定の危うさが薄くなってドキドキが減ります。
この作品は、笑いとスリルの両方が必要なので、どちらかが弱いと魅力が落ちる。
もうひとつは、サブカップルの破壊力です。
友達のチン・ヨンソと秘書のチャ・ソンフンの恋が、主役より先に進んで盛り上がります。
この二人の色気と真面目さの混ざり方が絶妙で、作品全体の満足感を底上げしています。
日本版でキャストの温度がズレると、サブカップルが浮いたり、主役の影が薄くなったりするかもしれません。
最後に、原作ウェブトゥーンらしい画面の派手さも大事です。
服、髪、部屋、会社の見せ方が明るくて、現実から離れた世界に入れます。
日本のドラマで現実寄りの画にすると、話の無茶さが目立って不自然に。
社内お見合いは、勢い、誇張、華やかさ、キャストの相性が全部そろって成立した作品です。
日本でリメイクするより、韓国版の完成度の高いロマコメをそのまま楽しみましょう。
まとめ
リメイクは悪いものではなく、原作への入口になる時もあります。
でも今回の10作は、国の空気や俳優の表情テンポの作り方が一体になっていて、置き換えは不可能に感じました。
まず韓国版をそのまま見てほしいです。
見終わったあとに、このキャスティングだからこそ成立したんだなと分かっていただきたい。
そうすれば、次にリメイクの話が出た時も、冷静に考えることができるでしょう。
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