テレビを見ながらの夫婦の会話

悲惨な東日本大震災の思い出を語る夫

夫婦の会話 | 東日本大震災を語る夫

成城石井で東日本大震災を思い出してしまう

テレビで成城石井とイトーヨーカ堂と西友の社員がそれぞれの商品を誉めあっていた。


それを観て

夫「お互い、ほめ殺しじゃん!」


私「この近所にないからわからんわぁ。」

夫「成城石井のナッツを布袋さんは日本に来たら必ず買うんだって俺も一度行ってみたいな、成城石井」


私「成城石井ってどこにあるの?」

夫「成城だべっ!おいっ!」


お饅頭とお茶をもってきて二人で食べる

私「成城石井といえば、布袋さん、コンプレックス解散してすぐに、ばったり吉川晃司と会ったんだよね?

同じ靴履いてたって笑ってらっしゃったの覚えてます」


夫「おれんちの近くには、イトーヨーカ堂のマークでヨークベニマルって言うのがあるんだぜ。」

私「ないわ、こっち、あれもないねん。」


夫「ワンダーグーでしょ?ワンダーグーと言えば、東北の地震を思い出します。もうすぐですよね?必ずワンダーグーの方角からどどどどって音がして、そしたらやはり余震が来るんだ」

私「怖かったでしょうね。よかったらこれ、私の分もどうぞ。」
とお饅頭をひとつ夫にあげました

夫は東日本大震災を体験しております

悲惨な東日本大震災の思い出を語る夫

2011年3月11日のことです。


当時、夫は栃木に居ました

仕事中だったそうです。


最初は、

「揺れてるな」
とは思ったけれど、さほど気にしてなかったそうです。

ところが、いつまでも揺れて、そのうえ、その揺れがどんどん激しくなってきた。


最初揺れだしたときに同僚が

「こういう場合は逃げないでここで待機するほうが賢いやり方なんすよ」


って言ってたので、夫はその場でじっとしていたらしいです。


そして、激しい地震の中、その忠告を守って耐えていたのに、ふと、見回すと逃げたらだめといっていた同僚も含めて全員が居なくなってしまったらしい。

「こりゃだめだな。外に逃げなきゃ。」と思って、必死の思いで建物の外に避難した夫。


建物は無事でしたが、事業所内はめちゃめちゃになってしまったそうです。

揺れは収まったけれど、余震がひどいため、仕事どころではなくなり自宅待機になり自宅に帰りました。


自宅まではちゃりんこで5分ほど。

帰ったら、自宅はどえらいことになってました。


食器棚が倒れていたため食器は割れて散乱しすべての家具が倒れていたそうです。

しかし、テレビだけはなぜか無事。
テレビを観て情報を得ようとしたところテレビは停電で映らなかった・・・・

そのころはまだ私と知り合ってなかったので、ひとりぼっちで部屋を片付け。


やがて夜が来て、さみしくなったので、友人に電話をしたら友人は家の前まで来てました。

友人

「このまま、一人で死ぬのかな?と思ったらさみしくなってここに来たんだ」


夫もほっとして、その友人と2人で、余震が続く、眠れない夜を過ごしたそうです。

その後、計画停電とか、いろいろ悲惨な目にあってますがそれはまた、いつかお話しいたします。

2018年(平成30年)9月10日時点で、死者は1万5,896人、重軽傷者は6,157人、警察に届出があった行方不明者は2,536人であると発表している(ただし未確認情報を含む。余震によるものを含む)。

日本国内で起きた自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは戦後初めてであり、明治以降でも関東大震災、明治三陸地震に次ぐ被害規模であった。

岩手・宮城・福島の3県を中心に、1都1道10県で死者・行方不明者が、また1都1道18県で負傷者が発生した。

引用元警視庁

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