時代劇

イ・チェミン【暴君のシェフ】セクシーすぎる!なぜ胸をはだけてたの?

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イ・チェミン×ユナ主演【暴君のシェフ】をご覧になりましたか?

ストーリーも面白かったのですが、主演イ・チェミンの沼にハマった方も多かったのではないでしょうか?

そこで、今回は「暴君のシェフ」のイ・ホン(イ・チェミン)についてのよくある質問にお答えしていきたいと思います。

食事の時なぜ胸をはだけていたの?

まず、最初にびっくりしたのがセクシーすぎるイ・ホンです。

服をちゃんと着てないのはたぶん、傷の手当てをした後だったからだと思われます。

または、このシーンは王宮に帰ってきた時だったので「暴君イ・ホン」がいかに暴君だったのか視聴者に強く印象付けるためかもしれませんね。

唐辛子はいつ韓国に来たの?

唐辛子が韓国に伝来した16世紀末から17世紀初めの時期の朝鮮王朝の王様は、主に宣祖から孝宗にかけての時代にあたります。

具体的には、1590年代の伝来時点では宣祖(在位:1567年〜1608年)が王でした。

豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年〜1598年)もこの時期に起こっています。

その後、17世紀初頭には明との関係が揺らぎ、清の台頭がありました。孝宗(李淏、在位:1649年〜1659年)はその後の世代の王です。

したがって、唐辛子が伝来した当時の王は宣祖(朝鮮第14代王)であり、その後の本格的定着や普及が進んだ時代には、孝宗などが王として在位していました。

一方、ドラマ「暴君のシェフ」の舞台は16世紀初頭の朝鮮王朝時代で、具体的には朝鮮王朝第10代王・燕山君(ヨンサングン、在位1494年〜1506年)の治世の時代設定です。

このことから、ドラマ「暴君のシェフ」の時代に唐辛子はなかったということがわかりますね。

そのため、王宮の温室にひっそりと「毒」として植えられていたのでしょう。

中国にはいつごろ唐辛子が伝来したの?

しかし、不思議なのは中国にもなかったということです。

なんと、中国に唐辛子が伝来したのは、主に17世紀(明代末期)の頃とされています。

具体的には約1640年ごろで、スペイン人が中南米からフィリピンを経由して持ち込んだという説が有力です。

伝来当初は観賞用や漢方薬として使われ始め、料理に広く普及し始めたのは17世紀以降です。

文献『本草綱目』(1596年)に唐辛子の記載がないことから、16世紀末にはまだ中国で一般的に知られていなかったと考えられています。

ということはもちろん「ラー油」も発明されてなかった時代です。

明の火夫、四川料理の天女ア・ビスは天才かもしれませんね。

キム・ヒョンムクの中国語が上手なのはなぜ?

憎たらしい明の使臣正使ウ・ゴンを演じたキム・ヒョンムクさんの中国語がすごくネイティブに聞こえましたよね?

もしかして、幼少期に中国に住んでたの?なんて思いましたが、実際にはウ・ゴンを演じることになって猛特訓をしたからだそうです。

中国語のアドリブも含め高度な中国語の練習をかなり努力してきたことがわかっています。

インスタグラムに直筆ノートの書き込みも公開しているほどです。

しかし、同ドラマの中国語セリフについては一部吹き替えも使われているのだとか。

発音については中国の声優などから一部批判もあったようです。

それでも現地では肯定的な評価も受けています。

従って、キム・ヒョンムクは中国語が「上手」と言える段階まで努力しており、特に演技のために実践的な中国語力を身につけていたということです。

​イ・チェミンは乗馬が得意だったの?

イ・チェミンはドラマ「暴君のシェフ」の主演役に抜擢されたことで、乗馬を含む多くのスキルを短期間で習得する必要がありました。

撮影のために一週間に数回乗馬の練習を行い、最初はうまく走れないと思っていましたが、実際にやってみるうちに次第に実力が伸び、最後には一人で走れるほどになったと語っています。

また、乗馬だけでなく料理や弓術、剣術、書道なども練習しており、その努力が制作陣から高く評価されています。

なぜ短期間で学ぶ必要があったの?

イ・チェミンが「暴君のシェフ」で乗馬を短期間で学ぶ必要があった理由の一つは、主演予定だったパク・ソンフンがSNSの不適切な投稿を巡る騒動で降板したためです。

パク・ソンフンは『イカゲーム』のパロディアダルト作品の画像をSNSに誤って投稿し、それが大きな批判を呼びました。

このスキャンダルを受けて制作陣と所属事務所が協議し、最終的にパク・ソンフンは降板を決定しました。

結果として、イ・チェミンが代役として急遽抜擢され、彼は約1か月という短期間で役柄に必要な乗馬や料理、弓術などの技術を習得しなければならなかったのです。

このキャスト交代はドラマ製作に大きな波乱をもたらしましたが、イ・チェミンの努力と演技が評価され、新たな主演コンビとして注目を集めました。

撮影準備期間の短さはパク・ソンフン降板によるスケジュールの変更が主な要因でした。

しかし、たった1か月で乗馬ってできるようになるのですね。

もともと運動神経が発達していたイ・チェミンだからこそでしょう。

すごいですね。

どこまでもかっこよすぎるイ・チェミンの次のドラマがとてもたのしみです。

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